日本人だから日本人として
mimuraです。
7月も半ばになり、ご近所でも保育園でも夏祭りがもうすぐ始まります。
娘がポツリと
「ママの浴衣姿、見たいな~」
なんてことを言いだしたものだから、子供が産まれて以来の久しぶりすぎな浴衣準備に追われています。
新調した下駄が今日届きました。
自分で選んだ花緒が桐の台に職人さんの手によってつけられた下駄。
箱を開けた瞬間
「私、日本人に生まれて良かった・・・」
と思いました。
そして手に取ってその軽さに驚き、桐の香りを思わずクンクン。
日本の伝統を桐の香からも感じます。
大河を見ていると、兼次やら家康やらが薬草をつぶしているシーンがあります。
西洋医学が入ってくる前は、日本にも日本らしいフィトテラピーがありました。
それがいつの間にかおばあちゃんの知恵的な存在になり
周りには簡単に触れられる自然が消え、だんだんと伝わらなくなり、日本のフィトテラピーって何ですか?的な時代になり・・・。
白いお薬はそれはそれでとても素晴らしく、西洋医学サマサマな存在です。
でも、多少手のかかるおばあちゃんの知恵的なフィトテラピーだって一緒に使い続けてもいいのでは?なーんて、日本人として思ったりします。
フィトテラピーに出会ってから、ずっと忘れていた過去の情景や香りを懐かしく思い出すことが多くなりました。
浴衣を縫ってくれたり、レモンで化粧水を作ったり、家庭菜園をしたり、糠漬けを作っていた母方の祖母。
お香の香りにいつも包まれ、2回に1回は着物を着ていた父方の祖母。
目を閉じて思い出に浸れば、子供の頃に感じた温かい空気にすぐに包まれます。
日本人に生まれたからでしょうか。海外に留学していた経験がそうさせるのでしょうか。
そして子供が生まれたからでしょうか。
大人になった私に響く、祖母が残してくれた宝物のような思い出を、ちゃんと子供達に残していきたい、日本は素晴らしいということを伝えたい、そう思うようになりました。
風邪をひいたならクズ湯を飲もうか。
喉が痛いならハチミツ舐めよう。
お米屋さんで一緒に糠を買って漬けようね。
私にとってフィトテラピーは、子供の心へ撒く種、そういう位置づけでもあります。 その種がいつか何かの拍子で花となり、実となって、大人になったときに、その時々で「そういえばお母さんは・・・」とか「あの時の香り好きだったな・・・」とか「実はお味噌作るの面倒だったんだよね・・・」でもいいから(笑)、そんな風に懐かしく思い出して欲しい。
そしてフィトテラピーを通して親の愛情を感じて、また次へと愛情を繋いでいって欲しいと願うのです。
と思って、自分の尻を叩いて今年から浴衣復活。
日々楽しもう、日本に生まれた日本人な私☆。